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ターザンひでおのHP

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日本編(その1)

記念受験のつもりで受けた会社に合格してしまったので、日本に帰ることにしたのであった。

しかし、日本に帰る前に車を売っぱらったお金でヨーロッパ旅行をして帰ることにした。ユーレイルパスをフルに利用して2週間ほどヨーロッパの国々を回った。この時の旅行記はまた別途、体験記の方で書きたいと思う。

アメリカの大学は6月が卒業なのだが、2月で全ての授業と卒業プロジェクトを終えていた私は、4月から新入職員として働きはじめた。良く考えるとまだ卒業してないのに大学院卒という肩書きで入社したのだから、経歴詐称になるのか?まあ、黙っていればわからないだろうし、6年もたてばもう時効だろう。

さて、入社して最初の2週間は研修期間で、東京の本社で座学をやったり、方々の関係機関を挨拶もかねて回ったりしていた。研修とは名ばかりで、大して中身も無く修学旅行のような感じだった。もし、今、私が研修担当だったら、フォトリーディングと9ステップを研修のプログラムに入れるのにと思うのだが。

研修が終わると私は種子島に配属となった。種子島が鹿児島県に属していることは知っていたが、九州出身の私でもどの辺に位置しているのかさっぱり知らなかった。種子島で思い浮かぶものといえば鉄砲伝来ぐらいのもので、実はロケットの打ち上げ上があることさえも知らなかった。

赴任前には本社の先輩たちから、「あそこは信号が全く無いほどド田舎だ」とか、「パスポートが要る」とかめちゃくちゃなことを吹き込まれていた。
もっとも、そんなことを真に受けるほどナイーブではなかったが。

種子島ではいろいろな事を体験させてもらった。1年目の夏にはH-Ⅱ6号機の打ち上げがあった。種子島の打ち上げ作業はぎりぎりの人数でやっているため、私は新人だったにもかかわらず、いきなり2段ロケットの作業担当に任命された。まだ、右も左もわからない状態で海千山千(?)の重工の作業者の人達と付き合うこととなったのだが、実際はそれほどたいした事をするわけでもなかった。毎日現場に通いつめて勉強しているようなものだった。最初の頃は先輩にしかられてばっかりだったのを良く覚えている。

少々マニアックな話になるので読み飛ばしてもらっても結構だが、H-Ⅱロケットの頃のロケット整備作業はまず、VAB(Vehicle Assembly Building)と呼ばれる建屋で、移動式射座(ML)の上に固体燃料ロケット(SRB)2本を立て、次にその間にメインロケットの1段を結合させる。MLに固定されているのは2本のSRBだけで、1段ロケットは両側のSRBにぶら下がっているような状態になる。

そして、1段の上に2段を連結する。こうして結合が終わった状態のロケットを今度は射座点検等PST(Pad Service Tower)に移動する。PSTに移動が終わると、燃料充填用のライン等のつなぎこみを行い、漏れが無いかの確認やバルブや機器の作動点検を入念に行う。

そして、打ち上げ当日にPSTを開いて、燃料を充填し打ち上げる。

作業の流れとしてはざっとこんなものである。作業期間としては最初のSRBの組み立てから約2ヶ月間かかる。

打ち上げ当日の燃料充填等の作業はブロックハウス(BH)と呼ばれる建屋から行うのだが、当日は約10時間ほど缶詰状態になるのだが、作業は深夜始まって、終わるのは夜の8時くらいと言うのが一般的なので、昼とか夜の時間とか、空腹感とか感覚がおかしくなってしまう。長時間国際線の飛行機に乗っている状態と似たものがある。ただし、仕事があるので立場はお客さんよりスチュワーデスに近いかもしれない。

打ち上げ期間中は結構忙しいし、勤務時間も長くて変則的になるので大変と言えば大変のだが、仕事にメリハリと緊張感があって個人的には好きだった。また、打ち上げ期間中はサービス残業にされる時間数が比較的少なく、残業代が結構もらえたので、通常の月の2倍近くもらえるときもあったのも良かった。

こうして、私の最初の打ち上げは無事に成功に終わった。この6号機ではNASAとの共同プロジェクトで作ったTRMMという熱帯降雨観測用の人工衛星を打ち上げたのだが、衛星の製作メーカがアメリカの会社だったので、この片田舎の町にNASAやメーカ関係のアメリカ人がたくさんやってきていた。

会社のサークルで毎週火曜日にバスケットボールをやっていたのだが、この期間中はNASAの連中が毎週やってきて日米対抗試合をやってとても楽しかったのを覚えている。30代、40代の連中ばかりで運動量は少なかったが、テクニックと身長で負けていた。そういえば、まがりなりにも英語をしゃべれるのは私だけだったので通訳代わりをやったなあ。

6号機成功の後の冬にはH-Ⅱ5号機の打ち上げがあった。もともとは5号機のほうが先に上がる予定だったのだが、衛星のトラブルで打ち上げの順番が逆になったのだ。

5号機ではCOMETSという通信衛星をあげる予定だったのだが、2段エンジンのトラブルで予定の軌道に乗せることができなかった。射場での2段担当者としてはとても悔しい思いをしたが、後の原因調査で、原因は製造試験時の不具合に原因があり、射場では発見できるものではなかったことがわかり少し気は楽になった。

余談ではあるが、昔から名は体を現すというように、衛星の名前も気をつけて決めたほうが良いようである。

このCOMETSの名前の由来は通信技術試験衛星(Comunication Engineering Test Satelite)から語呂が良いように付けられたのだが、日本語に訳すと”彗星”である。その名の通り安定できず流れていってしまった…。

また、ADEOSという名の地球観測衛星もあったのだが、打ち上げ後にトラブルが発生し「アデオス!(スペイン語でわかれの挨拶)」ということになってしまった。

(その2)につづく


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